ミシェル・クワン
世界選手権を5度制して、この人ほど女王の名にふさわしい選手はいないのだが…
『ミス・パーフェクト』
なぜか五輪だけは彼女を女王にはしてくれなかった…
クワンが五輪に出場したのは、長野・ソルトレイクシティの2回だが、実はその前後の五輪にも彼女は絡んでいる。
1994年リレハンメル五輪…
当時は『特例』というものがあって、出場年令に満たない選手でも、世界ジュニアの表彰台など条件を満たせば出場可能だった。
そのシーズン、13歳のクワンは世界ジュニアを制し、全米選手権でも2位に入るなど条件は満たしていた。
しかし…
『ケリガン VS ハーディング』
あのフィギュアスケート史上最悪の事件に巻き込まれ、13歳での五輪出場は夢と消えた…。
1998年長野五輪…
誰もがクワンの金メダルを予想していただろう。
しかし、不安材料もあった。
シーズン序盤に左足親指(だったかな?)を骨折して、グランプリファイナルを欠場…。
クワンは 3T+ 3T のコンビネーションジャンプを跳べたが、トゥをつく際、左足に負担がかかるため、ジャンプ構成を落とさざるを得なかった。
そして、彼女の前に突然現れたライバル。
『タラ・リピンスキー』
クワンより2歳若く、多彩なジャンプを跳べるのがリピンスキーの魅力…。まぁ、まだガキ体型だったので跳べたジャンプだけど…。
リピンスキーのジャンプは異常に低いが、異常に速い回転で、回転不足がない。
前年のシーズンでは、グランプリファイナル、全米選手権、世界選手権と立て続けにクワンに勝利。
五輪本番、SP首位はクワン。クワンはフリーも完璧だったが、最終グループの一番滑走という事で得点は押さえられ気味…。
一方のリピンスキーは、完璧なジャンプで技術点で高得点。クワンを逆転し、五輪最年少で金メダル獲得。
滑走順が逆だったら結果は違っていた…とも言われたが、慎重になりスピード感がなかったクワンに比べ、リピンスキーは躍動感があったのは確か。
2002年ソルトレイクシティ五輪…
地元開催の五輪という事で、ライバルのイリーナ・スルツカヤとともに金メダル候補にあげられていたが…
誰がこの結果を予想しただろう…
SP首位はまたもクワン。しかし、フリーはフリップで失敗し3位。総合でも3位でまさかの銅メダルに終わった。
地元開催でなければ結果は違っていたかもしれない…。
ミスはフリップだけ…。スルツカヤもミスはフリップだけ…。
『サラ・ヒューズ』というアメリカ代表の若手に、またもや金をさらわれてしまった…。
2006年トリノ五輪…
ソルトレイクシティからトリノの間に、フィギュア界は大きく変わった。それは採点法の変更である。
それに伴い、各選手が新採点法に合わせるべく練習をする中、クワンはこの新採点法の対策に乗り遅れた。
クワンがこの採点法で初めて出場した大会が、五輪前年の2005年世界選手権だったが、彼女の演技を見て、新採点法に対応できていないと思ったファンも多かっただろう。
五輪シーズン、ケガによりグランプリシシリーズ、全米選手権も欠場となり、今までの実績でなんとか五輪代表をつかんだが、彼女が五輪のリンクで滑る事はなかった…。